1911年に設立された金門学園(ゴールデンゲート・インスティテュート)は、アメリカの現地校に通学が許されなかった日本人移民の子弟のための教育機関として機能していました。1924年、カリフォルニア州から法人としての認可されました。長い年月をかけて金門学園は成長してきました。時間がたつにつれ、日系人が集い、文化活動に参加し、自分たちの生活や将来の世代を豊かにする場所になったのです。今日、金門学園は、言語だけでなく、日本の文化や伝統も教える語学学校として、誰でも興味を持つことができるようになっています。

教育目標

1. 日本語の習得はもちろんのこと、無私の精神や他者を思いやる心を持った日本の風俗習慣やマナーを観察し、実践する機会を持つこと。

2. 日本の文化に触れることで、国際的な視野を広げ、外国文化への理解や認識を深めること。

3. 日本の伝統と金門学園の歴史を受け継ぎ、先人への尊敬と感謝の心を育むこと。

歴史

1800年代後半、アメリカでは反日運動が盛んになっていました。日本人移民とその子供たちは過酷な差別の犠牲者となっていました。中でも特に問題視されたのは、日本人の血を引く子供に対する公立学校の入学拒否でした。さまざまな偏見に満ちた事件が起こり、さまざまな日系移民グループが組織されるようになりました。サンフランシスコでは、地元の日系社会が協力してが子供たちのための教育組織を作るために団結し、金門学園の創設につながりました。

・1910年5月2日:日系人会の中核グループが集まり、子供たちのための日本の教育組織を設立しました。これが金門学園の創設日です。

・1911年4月15日:盛大な開校式が行われました。同年10月、木原嘉一郎氏が運営するサンフランシスコの豊明小学校が金門学園に統合されました。

・1924年4月16日:カリフォルニア州より金門学園/ゴールデンゲート・インスティテュート財団の認可を受けました。

・1926年4月11日:新校舎の盛大な竣工式が挙行されました。金門学園財団記念式典が行われました。

・1931年5月12日:高松宮両殿下が御来校され、授業をご視察になりました。

・1933年9月4日:賀陽宮両殿下が御来校され、授業をご視察になりました。

・1935年10月30日:協和学園と合併しました。

・1941年12月7日:第二次世界大戦が勃発。1942年1月、敵性外国人総退去・収容が開始され、日本人外交官600人がモンタナ州に送られ、西海岸に住むの日系人約117,000人が2つの収容所に入所し、金門学園は閉校となりました。

・1948年1月26日:ブッシュ・ストリート2013番地の1階を仮住まいとして設立。10月に再開し、新学期が始まりました。生徒は日系3世が中心でした。

・1956年:北カリフォルニアで日本の映画の上映が盛んとなり、金門学園ホールを週末に使って日本映画の上映会を開催しました。

・1960年2月23日:皇太子殿下と皇太子妃殿下(現:上皇上皇后両陛下)が来訪されました。